現在ストーリーは、19話だんだん面白くなってきましたね。
結構わくわくして見てます。
やはり、民放や、FODドラマより断然「光る君へ」の方が面白く、みてて安心感があります。
史実に基づくせいでしょうか?
話に厚みがあるのでしだいに、物語に引き込まれていきます。
さて、ストーリーは第19話「放たれた矢」でした。
伊周演じる三浦さんいい具合にアホ暴君をやってくれてます。いい味だしているので次が楽しみになります。
第19話では、中摂関家の跡取りとして、自分が摂政になるはずなのに、叔父の道長の台頭を許し我慢のならないストレス抱えているところへ、大きな事件が起きてしまいます。
おもしろいですね、こういうところが脚本の妙味ですよね。
この記事では
まひろ定子に会う。そこへ帝がやってきて秘め事が始まる
まひろは清少納言との政事の戯言を話してたら出来たら定子様にお会いしたいなんて口にするまひろでした。
これを聞いた清少納言は、定子さまもまひろなら面白がるかもしれない閃く。
閃きは的を射てとうとう会えることになり清少納言に伴い中宮様の間へと出向くことになります。
ここで、おもしろいおなご「まひろ」として中宮に会います。
そこへ突然帝がお越しでやってくる。
そして、奥の部屋に入りチョメチョメです。あっさりとやってのけます。
なんとも光源氏風味です!
清少納言とまひろはそのまま、暫らく待ちます。
そして改めて、戻ってきた、帝、中宮が鎮座し、まひろの話を聞きたいと促します。
帝にそんなめっそうなことは言えないというが帝はここは非公式なのでなんでも言えとまひろに許します。
まひろ、白楽天の新楽府の知識で帝と意気投合する
その時、まひろは自分の夢を語ります。
中国の「科挙」のこと伝え、「低い身分の人でも官職を得て、まつりごとに加われる。
すべての人が身分の壁を越せる機会がある国は素晴らしいと存じます。我が国もそのような仕組みが整えばと、いつも夢見ておりました」。
中国文学でいうところの「言志」。文学者として、みずからの志を言う体でまひろの思いを伝えました。
帝は、「新楽符読んだか?」とまひろに尋ねます。
帝は日頃から「貞観政要」など為政者の心構えを授ける書を熱心に学んでいたので互いに意気投合しました。
まひろはもちろん、天皇の脳裏に浮かんだ漢詩がすぐに分かりました。白居易(白楽天)の「新学府」の一節を口にしました。
高者未だ必ずしも賢ならず
下者未だ必ずしも愚ならず
「身分の高い低いでは、賢者か愚者かは計れぬな」と天皇。昔の漢詩といえどもリアルな場面に口にされれば、意味するところはやはり現体制への苦言を臆せずまひろは答えました。
帝を演じる塩野瑛久さんのわずかな苦笑が絶妙の演技でした。
なんとも歴史的造詣の深い方々を惹き込む材料がたくさん散りばめられていますね。この辺の白楽天の新楽府は深くなりすぎるのでここでは割愛しますが面白いですよ。
後に、道長が政務の報告をしに来た際、帝が今日おもしろいおなごにあったという話を道長にします。
道長まひろの思いを政務に取り入れていく
そのおなごは藤原の為時の娘、、まひろと申す。そのおなごがいうには、宋の科挙のことをしっており、それが我が国でもあらんことを願うと。
あのおなごが男ならぜひ召し抱えたいと思ったと帝に言わせます。
気を見るに敏の道長は即座に動きます。権謀術数に優れた政治家としての顔を見せ始めていく道長です。
- 為時の任命
- 中摂関家の処罰
- 左大臣の着任
伊周が引き起こす中摂関家の凋落
一方、伊周には暗雲が立ち込めていました。
中摂関家の跡取りとして、自分が摂政になるはずなのに、はなから出世欲のなかった叔父の道長がなぜか自分を追い越して首座となり、どうにも我慢のならない鬱憤を抱えているところへ、大きな事件を起こしてしまいます。
自らの不徳のなさから起きた不運の引き寄せで長徳の変という形で災いをもたらします。
まさに弱り目にたたり目です。
これにより伊周筆頭とする中摂関家は,一家全員、懲罰を受け、朝廷を牛耳る摂関家の立場を失います。
といっても
実際は流罪になりましたが数ヶ月後京へ戻る恩赦を帝から受けます。
伊周には東宮の教育係があてがわれています。
まあ、でも総理大臣から、皇居の侍従長じゃあ、やはり左遷ですよね。
この事件を史実では「長徳の変」と呼ばれています。
長徳の変とは
伊周には寵愛する太政大臣藤原為光の娘三の君がいました。この君がストレスをためたとき癒してくれる伊周の憩いの姫だったのです。
宮廷でまたしても道長に伍して面白くなかった伊周は、三の君の屋敷にいくと表に立派な牛車が停めてありました。
即座に浮かんだのは三の君にも自分は軽くみられていると。
摂政になれなかった自分を見限り別の男と仰せを受けていると勘違いします。
邸宅前にとまっている牛車は花山院(法皇)のものだったのです。
帰り際、その花山院に向け矢を放ち、牛車を射てしまいます。
この襲撃事件、
経緯説は三つあるといわれています。
- 矢を射て、法皇の袖に矢が当たった(『栄花物語』)
- 矢を射て法皇の牛車を射抜いた(『小右記』)
- 矢を射て交戦になり、法皇の従者二名の首を持ち帰った(『百錬抄』)
3は大変な事態で法皇の従者の童子2人の殺害し首を持ち帰るという話になっています。
『小右記』は藤原実資(ロバート秋山)が当時書いていた日記に書かれている史実ですが、この話の出どころは道長だと言われておりますます闇が深い話になっていきます。
実際の長徳の変
出家した花山院の破廉恥行為から始まった暗殺事件
太政大臣藤原為光の四女(花山天皇の亡くなった愛妻藤原忯子の妹)に手紙を送り求愛していました。
四の君は「めっそうもない」ということで断り続けていた。しかし、花山院は出家した身でありながら、こともあろうに邸宅へ押しかけ求愛していたという醜態を晒していました。
牛車を乗り付けてやってきていることを見て伊周は、自分が寵愛する三の君に通っているものと勘違いし、弟の隆家に相談した。そして、隆家はたやすいことだといい、従者を連れ、月夜に花山院が三の君宅を出るところを襲撃します。
放たれた矢が花山院の袖を打ち抜き、従者同士で交戦が起こります。
その結果、伊周や隆家らは従者の童子(身の回り世話係)二名を殺し、首を持ち帰ったという懲らしめ事件を起こします。
この事件は仏門に入っている花山院にとっては他人に知られたくない羞恥行為だったので、襲撃事件はあっても黙っていたが、やがて帝や道長の耳にも知れ渡ってしまいます。
従者二名が首を切り落とされ持ち帰られているわけだから、人の口を封じることはできなかったようです。
それでこれは捨て置けない事件と取り上げ、長徳の年に起きた、皇族への反乱ということで長徳の変と命名し関わった中関白家への厳しい処罰が下されました。
三ヶ条の罪状により、島流し、そして中関白家の凋落で一家関係者すべて朝廷から一掃されることになります。
中関白家との関係 | 氏名 | 官位 | 処罰内容 |
---|---|---|---|
中関白家 | 藤原伊周 | 内大臣 | 大宰権帥へ左遷 |
中関白家 | 藤原隆家 | 権中納言 | 出雲権守へ左遷 |
伊周の叔父 | 高階信順 | 右中弁 | 伊豆権守へ左遷 |
伊周の叔父 | 高階道順 | 右兵衛佐 | 淡路権守へ左遷 |
大江以言 | 勘解由次官 | 飛騨権守へ左遷 |
叔父たちや従者、すべて内裏に出入りできなくなります。
中宮定子も責任を感じ出家します。
しかし、一条天皇は定子を愛しているので、翌年には罪状は放免され兄弟を京へ戻り、定子も還俗させます。
その後、定子は皇后になり、中宮には道長の娘彰子が中宮として入内します。
道長家の長きにわたる摂関政治の始まり
右大臣になった、道長ですが、摂政になろうとはしません。
そんな官位につくと、政治の実行部隊のどんな顔色やたたずまいで発言するのか分からないそんな状態では帝が望む政治ができませんと答えます。
よって内覧のまま、政治を進めていきます。姉詮子そして帝(一条天皇)の母がいったように公平な政治体制を作り上げ自分の娘を代々入内させ、孫の代まで道長政権を永続していくのです。
父為時 従五位下を拝命 越前国国司へ大抜擢
あれだけ中国漢詩への識者でまひろを育てた藤原為時ですがずっと官位は従六位のままでした。
史実でも凡位を越える詩人としても有名な為時でもあります。
花山天皇が出家して以来ずっと閑職で10年経っていました。
官位従六位以下は貴族でも下衆と言われていたそうです。
現代ならひどい言われ方ですね。
でもこの下衆という言葉、古くから用いられている言葉です。
現在は、このゲスは人格否定の意味合いが強いですよね。
でも道長の頃は、この言葉、上衆、下衆と別れており、つまり人格どうこう以前に身分の線引きだったのですね。
いくら頭が良かろうが、容姿が綺麗だろうが、全く関係なく、血筋一筋で線引きされるワンピースの貴族生まれのサボとエース、ルフィの編を思い出します。
朝廷発足時は、貴族であれば給金があったそうですが。、道長の時代には、すでに従六位以下の貴族が数多く朝廷としてはとても支給しきれずまひろの父は官職を得られなかった頃(光る君へでは花山天皇退位後10年間)無給だったそうです。
光る君へでは為時が、国司にもなれる、従五位下を、長徳996年道長より賜るのです。
19話では従五位下の拝命で終わっていますが、おそらく20話以降、国司に任命されるものと思います。
史実では、
最初小国淡路守でしたが大国越前守に大抜擢で任命されます。
よかったですね。
国司としての処遇を雲泥の差だったらしいですよ
これには、史実では紫式部も帯同したそうですからまひろは父為時と一緒に同行するのでしょう。
ドラマでは従五位下受ける前、中宮様にお目通りが叶ったあと、
まひろは父に、男なら自分からなりたいと宣言しなければ父を挑発します。父上は漢詩にも造詣が深くきっとりっぱにその任務をこなせるから越前の守に嘆願をすべきだとも、
しきりに父に果敢に挑めと進言します。
しかし、史実よると
実際は為時が、自ら嘆願したようです。
小国淡路国から大国の越前国の守に変更になったのは何故か?
為時の漢詩の造詣がしっかり役立っていますね!
藤原為時は、どのようにして大国の守を得ることができたのかが
『古事談』に記されているようそうで、
越前国守への任官は、源国盛と藤原為時が望んでいたが・・・
正月25日、国盛の任官が決まると、為時は女房を通じてに一条天皇に申文を奏上。
申文には
「苦学寒夜、紅涙霑襟、除目後朝、蒼天在眼」
の漢詩が書き添えられていたのだという。
「懸命に勉強したのに希望が叶わず、血の涙が襟をぬらしております。もし、除目の変更があれば、蒼天(一条天皇)に更なる忠勤を誓うでしょう」
これを見た一条天皇は、食事も喉を通らず、床に入って泣いたのだとか。
なんか感動すると言うより女々しいって感じなんですが、、、、
それを聞いた藤原道長は、国盛に越前守を辞退させ、為時を越前守とする除目を行ったのだという。
『今昔物語』には、一条天皇は為時の漢詩の才に深く感動したのだと書かれている。
この辺は納得しています。
まとめ:伊周が中摂関家を凋落させる。
長徳の変は、たしかに不敬ではありますが結局道長との政権争いで敗れたことによる流罪なのですね。
幼少の頃からの不徳の積み重ねで、詰め腹を切らされた形になっています。
近代ではお隣りK国のナッツ姫が有名でよく似た性格だと思いました。
史実では、伊周中摂関家を政権から引きずり落としたあとは、流罪も翌年には放免になり京へ戻ってきますし、官位の復職も東三条院や道長から出されますが、帝に却下されます。
よって再び要職を執ることはありませんでした。
一方、光る君への主人公であるまひろは、これから父に伴い越前国へ入ります。
その後、道長は、道長の娘、彰子が入内させ中宮となり、彰子の従者としてまひろが参内します。
清少納言=定子中宮と入れ替わりですね。これからが一層面白くなり日曜日の第20話が待ち遠しいです。
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