巷では、メデイアは泉房穂氏の学歴、政策、選挙、妻、子供、家族構成の記事で埋め尽くされています。
なので
私はこれで書いてみたいと思います。
泉房穂氏の奥様は社会活動家!お嬢様スタイルとは一線を画す。源泉はどこに?
この記事の【ポイント】は以下の通り
- 泉氏の奥様がだれなのか?
- 奥様は社会活動家【画像付き】
- 人丸花壇という料理旅館が源泉
- 小谷恵子女将(公仁子さんのお祖母様)が創業者だった
- 松平信安氏他界後の松平家の凋落
- 朝比奈秀典氏 泉氏の唯一無二のパートナー 選挙の達人
- 泉房穂氏の奥様は社会活動家!お嬢様スタイルとは一線を画す。源泉は明石の人だった。
泉氏の奥様は誰?
このサイトによれば
明石の老舗旅館人丸花壇の専務小谷氏は、泉氏の義弟にあたる
つまりは泉氏の奥様、泉公仁子さんは小谷公仁子さんで小谷さんの姉にあたる
なので、明石の高級老舗旅館人丸花壇のご令嬢だったことがわかります。
そしてお父様は小谷泰朗氏で、人丸花壇旅館の当主で地元観光協会の会長をなさっていました。
これは泉氏が選挙に勝ちそうです。
石井先生とはどこであったんでしょうね?明石でしたよね確か?
そうならこの小谷氏おそらく石井先生の後援会のメンバーから重鎮だったでしょう。
そうなると、この将来有望な政治家となる泉氏を石井さんが後押したことはあり得ます。
そして、朝比奈氏のなぜにそんなに選挙に詳しくなったか、そしてあれだけ泉氏が
ネットでラッパ吹くのは、朝比奈氏というバックボーンがいるからという気がしてきました。
良い原石があって、研ぐ材料や設備が整っていたらその石は光りますよね。泉氏はそういった原石だった
とおもわれます。
奥様は社会活動家
2023年3月時点で、公仁子さんはこども「サポート財団事務局長」を務められています。https://jfra.jp/ltg/facilitator_list/kuniko-isumi
フェースブック、インスタグラムも拝見しましたが大変精力的に草の根活動を活躍されています。
とても頼もしい奥様です。
人丸花壇という料理旅館が源泉
こんな奥様どこから来たのか興味ありますよね?
そう明石の老舗料亭旅館。料理をもてなす料理旅館のお嬢様だったんです。
この地の一角に建つ、風格あるたたずまいの「人丸花壇」は、1950(昭 和25)年創業の旅館だそうです。創業の女将は小谷恵子さん。つまり公仁子さんのお祖母様ですね。
そりゃあなんでも切り盛りできるような素地ができあがるご家庭ですよね。
しかしこの方、恵子さんはは松平家の子孫にあたり、旅館には皇族方もご来店された由緒ある老舗なんだそうです。
巨匠松本清張や内田康夫など、様々な作家が宿泊されたと伝えられています。かつて、松本清張氏は取材のために明石を訪れ、「人丸花壇」に滞在されました。後に完成させた推理小説『Dの複合』には、「人丸花壇」が実名で登場しています。現在も、旅館には松本清張氏直筆の芳名帳が残っています。
人丸花壇の会長、小谷泰朗氏は、明石の豊かな海で獲れた魚を中心とした会席料理を提供しており、『蛸づくし懐石』など、他では味わうことのできない料理を楽しむことができます。
泉氏は漁師の家庭で生まれながら、後にタコ名人と呼ばれ、自身のサイトにも記載しているように、奥様方の助けがあってタコ名人となったことがうかがえますね。
小谷恵子女将(公仁子さんのお祖母様)が創業者だった
この人丸花壇を創業した恵子さん先にも示したように血筋は松平家なんです。
その松平家(徳川家を含む)の家系図なんですが、徳川家康から7代さかのぼった、「松平親氏」から枝分かれした「信広」をずーっとたどって行くと、「信英」にあたりその娘さんである「恵子」という名前の方に当たります。
なるほど、納得です。松平から小谷さんへ恵子さんは嫁いだんですね。
ちなみに創業したのは1950年。
なので74年という歴史を持つ老舗旅館ということになります。
松平信安氏他界後の松平家の凋落
松平の本家は華族出身ですから貴族生活から一般人への転落は相当厳しかったそうです。
小谷恵子さんの祖父の信安氏の家庭は松平信安氏から大変な目に合っています。恵子さんのお父様(信英氏)は貧乏暮らしが嫌で大阪に逃げ出したとありますが、爵位が返還ならず、(権利放棄でしょうか!?華族大系から除外。)
信安の死後、妾のたま、娘の八重子、豊子、義子は、東京市本郷に小さな家に住居をかまえたのだとか。
母は、長男信英の爵位の復興を期待するも、信英は父譲りの奔放な性格で大阪に出て行ってしまいます。
追い討ちに関東大震災で一家が離散、その後、たまは喘息で死去する。八重子は結婚したが、他の姉妹は元華族を売り物に没落の一途をたどりました。
八重子は新橋・赤坂周辺の芸妓、豊子は女給・ダンサー、義子は芸者置屋に売られます。
豊子と義子が芝区浜松町のアパートに同居していた時期、義子は病に倒れ病院に通っていたそうです。
昭和11年(1936年)9月9日午前10時30分頃、浜松町発四谷行きの東京市電33系統が、御成門停留所近くの愛宕警察署(芝区新橋六丁目)のカーブを曲がろうとした時、車窓台に乗っていた義子は振り落とされアスファルトの地面に転落してしまいました。
義子は慈恵病院に搬送された姉の豊子が看病していたところ、新聞で事故の記事を読んだ八重子、10年程音信不通であった信英、信元が病室を訪れ、身内全員が再会することになります。
さらに、松平3代に仕えた家臣だった堤和芳(当時85歳)が杖を突いて調布から駆けつけたとのこと。義子は昏睡状態から目を覚ますことなく26歳でこの世を去りました。
『華族大系』では、松平信英、松平八重子、松平豊子、松平義子の名前は削除されており、次男の松平信元が家督を継いだとされています。
こんな苦境に屈しなかった松平恵子氏は明石に料亭旅館を創業するのです。
なんかドラマになってもおかしくないですね。
朝比奈秀典氏 泉氏の唯一無二のパートナー 選挙の達人
この方は、泉氏の選挙戦での中心人物となる大変重要な方です。
泉氏に選挙のプロと言わしめる人で、選挙戦を戦う泉氏の懐刀です。
この御仁の戦歴は、
- 岡田市長選2回 勝利
- 北口市長選2回 勝利
- 泉市長選4回 勝利
と全勝し
丸谷市長選 9回目も勝利しています。
なんともバイタリティにあふれる方で、学生時代からスポーツが得意なようで、なんと柔道が6段の腕前なのです。
6段に達すると、「師範」と呼べる段階に入るそうで、これは長年の努力と研鑽の結果だとのことです。
その方の簡単なプロフィールがありました。
兵庫県明石市 朝比奈興産株式会社の社長です ガス屋水道屋解体屋リフォーム屋やってます 特技 柔道六段 趣味は選挙プランニング カラオケ🎤丸谷さとこ明石市長執事
泉房穂氏の奥様は社会活動家!お嬢様スタイルとは一線を画す。源泉は明石の人だった。
泉氏は国民を救済する政治からスタートし、選挙での勝利や衆院の過半数取得など、多くの政治的成功に導かれていく中で、その将来的な総理大臣への期待感も高まっていた私です。
そうした中、彼の奥様について考えてみると、ますます興味が湧いてきました。まさに「類は友を呼ぶ」ですね。泉氏は恵まれた環境と共に、優れた人々に囲まれて躍進していることがわかります。
その中で、故石井紘基代議士、観光協会会長の小谷泰朗氏、朝比奈英典氏、そして義弟の小谷謙介氏といった人々が挙げられ特に奥様の公仁子さんは、凛とした社会活動を展開し、まさにその姿勢が泉氏の政治的な躍進力担っていることが伺えます。
今後もお二人の一層の活躍を期待し、注目していきたいと思います。